同じ時を過ごすということ。

昨日は、18年ぶりに高校の同窓会が開かれ参加してきました。

その前日には、GCDFキャリアカウンセラーの同期とご飯を食べてきました。

人脈という言葉とも、知り合いという言葉とも違う、

言うなれば「同じ釜の飯」という言葉が一番しっくり来る、

同じ時を過ごしたという証拠つきの間柄は、なにものにも代え難い価値があります。

たとえば、若い頃は、人を祝福するのに、金やモノや言葉をもってしようとしましたが、

いまとなれば、「一緒に時間を過ごす」ことが、なによりも贅沢で価値のあることなのだということがわかります。

誰もが忙しくなり、それぞれの世界を持ったこの年齢では、なおさらです。

それが一度や二度の会食ではなく、みっちりと感情や季節までも共有した仲間であれば、

その唯一性は目もくらむばかりです。

とはいえ、ただ一緒に時間を過ごしたからといって、

みながみな仲良くなれるかというと、そういうことでもないのは、

公園の砂場で遊んでいた子どもの頃から変わらぬ、人づきあいの真理でもあります。

そんなことを、ついつい赤ワインを飲み過ぎながら考えた週末でした。
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