(この記事は2月10日に書かれたものです)
希望する人気業界(たとえばテレビ局)に入りたいと思ったときに、人気職種(たとえば制作)を避けて、そうでない(と思われる)職種(たとえば営業・管理)へ妥協し、まずは入社を確保するという手法を選ぶ学生がいます。また、それを勧めるOB、カウンセラーもいるようです。
私はその手法に対して、懐疑的なスタンスをとっています。
理由は挙げればきりがないのですが、
まず第一に、その小細工(というと不穏当ですね。もとい、作戦)が通じる可能性はきわめて低いとにらんでいるからで、
第二に、思いを曲げて選考に落ちると、果てしない後悔が生まれると思っているからです。
最初の理由についてですが、「倍率が少しでも低い方へ」という気持ちは、私自身新卒の時に経験しましたから痛いほど分かります。
そもそも人生における意義の深い選択に、「倍率」という概念を持ち込むのもどうかと思うのですが、それはさておき、ではその妥協により、「倍率」がどれだけ下がるのか、いわばギャンブルとしてどれだけ本当に有利になるのでしょうか。
私には、本来希望している人気職種へぶつけるはずだったオリジナルで熱い思いを犠牲にするに値するほど、実際の倍率が下がっているとはどうも思えないのです。
もちろん、妥協した先の職種を研究しつくし、十分な関心を持ち、最初に抱いていた思いと同じだけの、リアルで生身の志望動機を用意できれば、もちろん検討してもいい作戦ですが、それはなかなかどうして、難しいのではないでしょうか。
さて第二に「後悔」の話ですが、残念ながら武運に恵まれず選考に落ちてしまったとして、思いをそのままにぶつけて落ちた場合と、”賢明な妥協”の結果落ちた場合、どちらがより後悔がつのるでしょうか。
「妥協しておけば、一次面接ぐらいは通れたかもしれない」という後悔と、「同じダメなら、本当に行きたい職種への滾る気持ちを、ぶつけて散ればよかった」という後悔。もちろん、一概にどちらがどうと言えることではありませんが、少なくとも、私が担当する学生の皆さんに味わって欲しくない後悔は、後者の後悔です。
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