カテゴリー別アーカイブ: 大学生向けキャリアコラム

愛の告白に必要なこと。

(この記事は2月14日に書かれたものです)

「面接」とはいったいなんでしょうか?

たった3分で人格を否定されるかもしれない恐ろしい審判の場所。
企業が自分を採りたくなるように論理的に説得するプレゼン機会。
面接官の当たり外れによって左右される運試し会場。

面接はいろいろなものにたとえられますが、面接はデートであるというのも、ひとつ的を射た比喩だと思います。

なんとなく意識し合ってる二人が、約束を決めて待ち合わせ、一定の時間をともにし、その中でそれぞれの基準でお互いを見定め、片方が好意を告げ、もう一方はそれを受け入れるか、断るかの判断をする。
まだつきあう前の二人が繰り広げる、甘酸っぱくも初々しいデートです。

見知らぬ二人が出会い、会話を交わし、今後ずっとつきあっていきたいかを検討するわけですからその過程には、いろんなことが起こることでしょう。
うまく行っているはずのデートがささやかな行き違いから大げんかに発展することもあれば、まるで会話が盛り上がらずがっかり肩を落としていると、「楽しかった」というメールが入って小躍りすることもあります。

重要なのは、それが一方的な「選考」などではなく、公平な立場の二人によって行われる発展的な手続きだということです。皆さんは一応告白をする立場なので、(うれし)恥ずかしい状況に立たされはしますが、同時に、相手の雰囲気や態度を見定める権利と必要があります。

とにかく対応がぞんざい、人の話をきちんと聞こうとしない、連絡が遅い、値踏みをするような表情を隠さない。そんな失礼な態度をとるような人間を大事なデートに寄越すような企業は、こっちから願い下げです。どれだけハイスペックな企業でも、そんな相手とはつきあわないほうがましでしょう。仮にうまくいっても長続きしません(それでも、ついついすがりたくなるのが「惚れた弱み」って奴ですね。辛いところです)。

自己紹介をし、緊張しながらもデートをなるべく楽しみ、シンプルに「好きなのでつきあってください」と告げ(経験上、ひねった告白はよくない結果を生みがちです)、後は相手の判断に委ねる。
言ってしまえば、面接でしなくてはいけないことはこれだけです。

もちろん、「ごめんなさい」と断られれば悲しいですし、泣きたくもなりますが、敗因は(えてして勝因も)、大抵「タイミング」と「相性」ですから、涙を拭いて、次に行きましょう。とくにこの季節、幼稚園児でもやっていることです。負けてはいられません。

いつか両思いになれる日を夢見て、気楽に、飾らず、足下を見られることなく、デートを重ねていきましょう!
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企業はサークルか。

(この記事は2月12日に書かれたものです)

「大学を卒業して企業の一員になる」というと、全くの異界へ赴くような心細い気持ちになるのは無理もありませんが、人が何人か集まって組織を作り、共通の目的に向かって動くという意味で言えば、企業も、大学の体育会やサークルとなんら変わりません。

もちろん、企業とサークルの厳密な違いなんて挙げればきりがありませんが、「人が人を新しく仲間に迎える」という点で見れば、本質的な差はそれほどないと、僕は信じています。

皆さんは、大学時代、サークルやバイト仲間、学科といった何らかの組織に属していたでしょうか?
属した経験があり、先輩として新入生を迎えた経験があるのであれば話が早いのですが、では、みなさんは、新入生をどのような目でとらえ、どのような人と一緒にやっていきたい、どのような人とはうまくやれそうにない、と思ったでしょうか?

もちろん、各人・各サークルによって価値観は違うと思いますが、大枠としては、「雰囲気・話し方が(どこがとは言えないけれど)いい感じ」で、「この組織でうまくやっていけそうな人」ぐらいのものではないでしょうか?

決して、「その組織のことを細かく知り尽くし、具体的な参加方針をいくつも挙げ、客観的な自己分析も完璧で、それらをもとにいかに自分がこの組織で効果的に機能できるかを蕩々と弁じ立てる新入生」ではないはずです。

その競技・種目・テーマについては未経験でも、自然な自己紹介ができて、組織の一員になりたいという思いを自分の言葉で話し、先輩に対しては元気な笑顔で懸命に受け答えをする、そういう、やる気のあるはきはきとした新入生。
特殊枠が適用されるような一部の例外(甲子園出場などの鳴り物入りのルーキー)でなければ、多くの学生のみなさんが目指すべき姿は、まさにこれです。

「自分が企業の採用担当だったら」という想像よりも、「自分がサークルの(部の、学科の)新入生担当だったら」という想像のほうが、就職・面接というおっかないモノを、より身近に感じることができるはずです。

考えが煮詰まったときに、ぜひ試してみてください。
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その妥協は、「賭け」として妥当か。

(この記事は2月10日に書かれたものです)

希望する人気業界(たとえばテレビ局)に入りたいと思ったときに、人気職種(たとえば制作)を避けて、そうでない(と思われる)職種(たとえば営業・管理)へ妥協し、まずは入社を確保するという手法を選ぶ学生がいます。また、それを勧めるOB、カウンセラーもいるようです。

私はその手法に対して、懐疑的なスタンスをとっています。

理由は挙げればきりがないのですが、
まず第一に、その小細工(というと不穏当ですね。もとい、作戦)が通じる可能性はきわめて低いとにらんでいるからで、
第二に、思いを曲げて選考に落ちると、果てしない後悔が生まれると思っているからです。

最初の理由についてですが、「倍率が少しでも低い方へ」という気持ちは、私自身新卒の時に経験しましたから痛いほど分かります。

そもそも人生における意義の深い選択に、「倍率」という概念を持ち込むのもどうかと思うのですが、それはさておき、ではその妥協により、「倍率」がどれだけ下がるのか、いわばギャンブルとしてどれだけ本当に有利になるのでしょうか。

私には、本来希望している人気職種へぶつけるはずだったオリジナルで熱い思いを犠牲にするに値するほど、実際の倍率が下がっているとはどうも思えないのです。

もちろん、妥協した先の職種を研究しつくし、十分な関心を持ち、最初に抱いていた思いと同じだけの、リアルで生身の志望動機を用意できれば、もちろん検討してもいい作戦ですが、それはなかなかどうして、難しいのではないでしょうか。

さて第二に「後悔」の話ですが、残念ながら武運に恵まれず選考に落ちてしまったとして、思いをそのままにぶつけて落ちた場合と、”賢明な妥協”の結果落ちた場合、どちらがより後悔がつのるでしょうか。
「妥協しておけば、一次面接ぐらいは通れたかもしれない」という後悔と、「同じダメなら、本当に行きたい職種への滾る気持ちを、ぶつけて散ればよかった」という後悔。もちろん、一概にどちらがどうと言えることではありませんが、少なくとも、私が担当する学生の皆さんに味わって欲しくない後悔は、後者の後悔です。

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